旭川市民性 その2
2013年7月13日 土曜日
伍四人
旭川市民はえげつないほどの商魂を持ち合わせないのである。
よしんば持っているとしても、それを表立たせるのが苦手なのである。さっぱりしてて、人を押しのけてまでの発信が苦手な市民なのである。人のやることの評論はするが、自分からことを起こすことが苦手なのである。このDNAは我々もしっかり受けついでいるからこそ、我々も評論家やってるのである。例をあげてみよう。
東京でも北海道物産展はしばしば催される。菓子のコーナーに行ってみる。
なつかしき壺屋も梅屋もロバも見つからず,六花亭・六花亭ばかりが目につく。空港の土産店でもそうである。北海道へ行った人から戴く土産物はまず旭川のものはない。どう見ても土産物コーナでは旭川よりも帯広の方が前面に出てる。地方区と全国区ほどの差である。
どうしてこういうことになったか?
私の推理の結論は市の生い立ちそのものから来たんだということになった。