日本口承文芸学会会長に就任しました。附……あ、還暦です。
2017年7月14日
髙木史人(26期)
近況を同窓会宛てにメールしましたら、広報担当14期の工藤琢哉先輩から、紹介原稿をとのご依頼を受けましたので、あらあら記します。
(自己紹介)
私が西高に入学したのは1974(昭和49)年です。いま母校HPで確認したら、西高が川端町に移転したのは1971年だから3年後のようです。当時はピカピカの新校舎でした(いまはさらに新たに建て替えられた校舎のようですが……)。普通科です。1年生のときは数学の立松先生、2年生のときは英語の湊先生、3年生のときは日本史の小野先生のお世話になりました。3年生のときはシバレイモこと菅原先生顧問、山木裕志君部長の地学部員(じつはトランプ部員)です。
高校生のころは小野先生の影響で歴史学をと思っていたのですが、当時、現代文を教わっていた「不謹慎ですぞー」のウメさんこと梅沢先生が学生時代柳田國男と並ぶ民俗学者・国文学者の折口信夫(1887~1953)に習ったことを短歌(折口信夫=釈迢空)の授業の折りに知り、結局、梅沢先生の後輩になるべく国学院大学に入学。民俗学を学ぶことになりました。それには旭川市神居町雨紛の祖母から教わった越中弁の昔話も大きく作用しました。この辺り、かなり以前、同窓会報に少し書いたかも知れません。
(現職)
さて、その後、紆余曲折ありましたが、ともかく19年の旭川暮らし、21年の東京暮らし、18年の名古屋暮らしの後、昨年4月から大阪府柏原市の関西福祉科学大学教育学部に勤務しています。昨年4月に新設された学部です。友人は、段々「西」に移動しているから、次は九州・沖縄かと言っています。
(ご報告 その1)
それはさて、今年4月から日本口承文芸学会会長に就任いたしました。任期は2年です。
「口承文芸」という言葉は、日本民俗学の創始者といわれる柳田國男(1875~1962)が1932年に著した「口承文芸大意」(『岩波講座日本文学』)が初出です。フランスの民俗誌家のポォル・セビオが用いたla littérature oraleを柳田が翻訳したものです。本来「口頭」を指すoraleと「書くこと」を含意するlittératureとを接合するのは自家撞着なのだが、新しい領域を指す言葉としてあえて用いると柳田は述べています。新語作成、命名、唱えごと、謎、諺、なぞなぞ、民謡、昔話、伝説、世間話(現在では都市伝説なども)、語り物、神話などが研究領域です。
日本口承文芸学会は、1977年5月に創設された日本の「口承文芸」つまり口伝えの文学を研究する人びとの学会です。年1回の大会、2回の研究例会を行うほか、機関誌や会報を発行しいます。全国に約330名の会員がいます。昨年は北海道大学で大会を開き、今年は慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスで大会を開きました。
初代会長は柳田國男門下の関敬吾(1899~1990)。関敬吾の本は『日本のむかしばなし』(岩波文庫・全3冊)や『民話』(岩波新書)などがあります。歴代会長に私が大学で師事した臼田甚五郎(1915~2006)、野村純一(1935~2007)や、いまもお元気なドイツ語圏の昔話研究の小澤俊夫さん(1930年~ )や文化人類学の川田順造さん(1934年~ )らがいらっしゃいます。
(余談)
小澤さんといえば、私が初めて小澤さん(と関先生と)にお会いしたのは20歳の秋でした。当時、目白の日本女子大学にいらした小澤さんのゼミに関敬吾先生が見えると聞きつけて伺いました。初めて女子大構内に入るので、緊張しました。ずうずうしくも好奇心旺盛だったのですね(小澤さんの弟が指揮者の小澤征爾です)。その後、小澤さんが会長のときに、27歳の私が会長指名理事として事務局のお手伝いをすることになるとは、そのときは考えもつきませんでした。
川田さんと始めてお会いしたのは30歳の秋です。ある学会で研究発表したときに、一番前で聞いてくださり、いろいろと質問を受けました。その後、『口頭伝承論』では索引作成を任されて、大いに張り切りました(この本は、毎日出版文化賞を受けました)。川田さんが、文学研究者で詩人の藤井貞和さん(1942~ )と初めて会ったときのことを何年か前の『現代詩手帖』「藤井貞和に問う」特集号に書いていらしたのですが、それがどうも私を含めて3人でこの学会の会報を作る作業場(西新宿のビルの地下室)だったようです。
人との巡り合いには、ほんとうに恵まれていたのだなと、我ながら呆れます。
(ご報告 その2)
とうとう、我等が期は、還暦です。
昔は赤いチャンチャンコを着たそうですが、いまはそんなことするのはいません(?)
ところが。恐ろしいことが。
友人はありがたく、しかし、ときにありがた過ぎる。
この夏、「還暦記念日本民俗学講習会」を開いてくださるとのことです。
ちなみに日本民俗学講習会の名称は、1935年7月に柳田國男の還暦を祝って開かれた催しと同じです。俎の鯉です。覗き見趣味のある方は、ぐぐってお笑いください。友人の一人は、「これ、いじめだよね」。
ぼくは10月の生まれですから、まだ59歳です!
それにしても、我等この国で(?)この先、どうやって生きていくのでしょうか?